認知療法としての掲示板
投稿者名:クレイトー
タイトル:五味先生の言葉を見て
こんばんわ。前に一度相談のメールをした高校生です。お返事本当にありがとうございました。相談してお返事をもらえたことでとても楽になりました! あれから何日か立ち思うことは、自分はたしかに匂ういうことです。今まであまり感じませんでしたが、なんだか成長していくにつれて匂いが強くなり汗も増えているような気がします。また悩みはじめてしまったので、今日また掲示板の過去ログを読んでみたんです。そこでアトルさんという方の文を読みました。汗はメッセージだということ…。私はその言葉に励まされました。そしてそうかもしれないと思いました。 汗に意味があるのなら匂いにも意味があるはずですよね?良いことも悪いことも、自然に発生するものに意味のないものなんてないはず!そう思いました。汗も匂いも私にとって意味をもつ必要なものなんだと、そう思うと今まで悩んでいたことが嘘のように心が軽くなりました。汗と匂いがどんな意味をもっているのか、そう考えたときに五味先生の、今まで抑えてきた『何か』をおもいっきり表現することという言葉を見て、まさにこれだと思いました。 私は成長するにつれて人に合わせて人の機嫌をうかがいながら嫌われたくないという思いで言いたいことも言わずにガマンしてきました。前の自分はとても自己中心的で人のことなんて考えず自分のしたいように友達を振り回しながら生きてきました。相当嫌われていました。嫌われていることを知りショックで今の自分ができました。周りからみればとても極端に性格が変わったと思います。 今では人の気持ちも考えてあげられるし、他人が幸せになるなら自分が犠牲になってもいい、自分が我慢すればいいという考えです。心からそう思っているのに皮肉なことに自己中心的なころにはなかった体臭と汗に、変わることができた今悩まされているのです。 昔のバチがあたったのかもしれないとも思います。でもきっと自分を押さえ込みすぎているんですよね。出し過ぎもどうかと思うけど、たしかに自分を表現できていた頃には汗も匂いもありませんでしたから…。今の自分でいいんだと思い込んできましたが、やっぱり自分を表現していくことは大切ですよね! 本当の自分は外に出たがっているのかもしれません。五味先生とアトルさんのおかげで大切なことに気付くことができました!今気がつくことができてよかったです…!ありがとうございました!読んでくださってありがとうございました☆また掲示板拝見させていただきますね!でわ…
投稿者名:五味院長
タイトル:認知療法としての掲示板
クレイトーさん。 まだ高校生ですが、あなたの洞察力の深さには驚くばかりです。 あなたが書いている内容は、実は精神医学的には「認知療法」という立派な精神療法の解説なのです。 そのような、難しい精神科的療法をなんの知識もなく自分の「汗や臭いの悩み」に応用してしまっているのです。あなたは無意識的に精神科領域で扱う「認知療法」の原理を自分の悩みの解消に利用してしまっているのです。 あなたのような人ばかりならカウンセラーの先生は必要なくなることでしょう。 本当に驚きました。 あなたの記述内容がなぜ「認知療法」になるのかを説明しましょう。 「認知療法」とは、「物は考えよう」的精神療法と言ってよいでしょう。 人は、ある事柄(仕事、体のこと、人間関係など)で悩み、辛くて、苦しくて、悲しい「気持ち」になることがあります。 しかし、その気持(感情)の大小は、その事柄について「どう考えるか」「どう解釈するか」「どう理解するか」という認知の仕方で変わるものです。 例えば、ある会社に、「いつも期待どおりの結果を出さなければいけない」と考える(A認知)さんと、 「最善をつくせばその時点の結果がベストだ」と考える(B認知)さんがいました。 その二人が責任あるリーダーとして同じ仕事をまかされて、残念ながら、同じようにあまりよい成績を残せなかったとしましょう。 しかし、AさんとBさんの悩み(気持ち)の感じ方は違うはずです。 完璧主義のAさんなら多分、「リーダーが私でなけばもっと進んでいたのに。部下からも信頼されていなかったようだ」と落胆し、これからの自分に失望し、会社に行くことさえイヤになってしまうこともあるでしょう。 でもより広い考え方のできるBさんなら「私はできるかぎりのことをしたのだし、自分でなくてもこれぐらいであったかもしれない」とその結果には落胆はしても、次回の機会に頑張ろうと新たな気持ちをもちことも可能です。少なくとも自分自身を否定して、出社拒否をおこすようなことはないでしょう。 つまり、人は、全く同じ事柄を経験しても、その事柄に対する「考え方=認知」の仕方次第で、全く異なる状況をもたらすのです。 「汗や臭い」についての認知でも同じです。 「汗をかく」という現象を「嫌なもの。抑えるべきもの」と認知するか、 「その汗にもなにかしらのメッセージがあるのではないか」と認知するかでは、 汗と自分との距離感(受け入れ方)が全く変わるでしょう。 同様に、自己の体臭を「不快なもの。忌み嫌うもの」と考えるか、 「生きている証であり、個性でもある」と考えるかでは、体臭悩みの本質まで異なるものになるでしょう。 つまり、汗やニオイへのあなたの「意味づけ」の仕方で、あなたの悩みの内容までが変わってくるのです。 認知療法とは、「人間の感情は物事の考え方ひとつで変わるものである」という当たり前なことを、精神科医がカウンセリングをしながら、マイナスの思考(自動思考といいます)からプラスの思考(合理的反応といいます)を引き出して、患者の生活志向を転換しようとするものなのです。 「物は考えよう」という当り前な人間心理の応用なのですから、一般の我々だって「自己認知療法」ができるのです。 ただ、自分ひとりでするからには、自分自身に対し常にある「問いかけ」が必要です。 それは、 「考え方は一つではないのではないか?」→ 「今の考え以外の他の考え方はないのか?」 →「仮に他の考え方をしたら周囲はどう変わるのか?」→「周囲は変わらなくても自分はどう変わるのか?」→「自分の考えが変われば、周囲への考えはどうなるのか?」→ 「・・・」→「・・・」 ・・・・・。 と絶えず自問自答することです。 人間社会は、さまざまな規制があり自由ではありません。 しかし、脳細胞の神経シナプスの思考回路の選択の仕方にはなんら規制はありません。 つまり、あなたの「考え=認知」は、あなた次第なのです。 汗や体臭に関して、あなたが「人の態度やしぐさ」を感じたとき、その「事柄」をどうとるかもあなたの自由です。 「電車の中で、他人が咳き込む」という事柄を経験して、「自分の体臭のせいではないか」と考えて辛い気持ちになるか。 「いや、もしかしてあの人はたまたま風邪をひいていたのだ」と考え気楽になるか。 「仮に自分の体臭のせいであっても、そのことで自分の仕事の価値が下がるものではない」と違う価値に意識を向け、前向きな生き方をするか。 これらの考え方の選択は、全てあなたの自由なのです。だれも規制はしません。 しかし、同じ自由なら、「認知療法」的な考えをしようではないですか? 自分の状況を前向きにするような結果をもたらす認知の仕方をしようではないですか? クレイトーさんやアトルさんのように。 「認知療法」を身近に応用できるようになったなら、汗や臭いで悩むあなたの「生活の仕方」にコペルニクス的転換がもたらされることでしょう。 クレイトーさんやアトルさんのメッセージを読んだ人が、後ろ向きの「自動思考」をちょっとを変えることで前向きな「合理的思考」が可能となるなら、今まで抑えざるを得なかった「何か」が肩の力を抜いた自然体でスーと表現することができるようになるでしょう。 その時にはきっと、 「自分を出すべきか」「抑えるべきか」 このような二者択一という究極の選択以外の 「もうひとつの在り方」が見出せることでしょう。 この掲示板が、認知療法的意味を持ち、そのような「静かな解消法」となるなら、それは、私の近著のタイトルでもある「デオドラント革命」と呼んでもよいでしょう。 クレイトーさんとアトルさんのおかげで、私自身が掲示板の新しい「意味づけ」に気づき、新しい掲示板の「あり方」に出会うことができました。貴重なメッセージ本当にありがとうございました。
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