わきが・体臭・多汗 ミニコラム
身体の手当と心の手当
五味クリニック院長
五味常明
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私は心療外科医です。「心療内科」ならいざしらず、「心療外科」とはこれいかに?
耳慣れない言葉ですね。それもそのはず、心療外科とは私が勝手に命名した科目なのです。
ただし、決して言葉の遊びではありません。
私は本来は形成外科医です。しかし、日々の診療を重ねるなかで、どうしても外科の枠組みのなかでは手を尽くしきれない場面に、幾度となく立ち会ってきました。外科の手法だけでなく、胸の内にまなざしを投げかける、いわば「心」の診療が必要なのだと、そのたびに痛切な想いに駆られたものです。
「心療外科」の名前は、そうした「診療」の現場から生まれました。
いまの話を、もう少し実例でご説明しましょう。
12歳の少女が母親に付き添われて来院しました。夏だというのに長袖のワンピースを着ています。この女の子は乳児のときに火傷をおいました。胸背部から腕の先にかけて、広く瘢痕性のケロイドが残ってしまい、そのために夏でも半袖になれないのです。ケロイドは、軽いものならステロイドの軟膏や注射で治療しますが、高度のものは、正常な皮膚をケロイド部分に移植する植皮術が中心になります。
しかし、このとき私は、形成外科医として我が身の無力に行き詰まるばかりでした。なぜなら、彼女はすでに何度も植皮をしていたために、もう移植するための正常な皮膚がほとんど残っていなかったのです。外科手術では、もはやこれ以上の治療はできません。この女の子は、これからずっとケロイドとともに生きていくのです。
そして、もし彼女が、見た目にきれいか、みにくいか、というモノサシでのみこれから生きていくのなら、その一生は価値の低いものになってしまうでしょう。
たしかに美しいこともひとつの価値です。でも人生の意味はそれだけではありません。人間はひとりひとり個性を持っています。そしてそこに価値があります。ケロイドという事実を含めて、彼女がひとりの人間としてかけがえのない存在であることには変わりはないのです。
ならば私は、ケロイドの少女になにができるか?
さしあたって軟膏やケロイドの予防の内服薬を投与して、ほんのいくばくかの希望をもたせることも必要でしょうが、もうひとつ、人間の値打ちは外見だけではない、あなたが今ここに生きていることに意味があるのだと、それを分かってもらうために、時間をかけてでも心の深みへと手をさしのべることも必要なのです。
このように、自分の身体や存在に負い目を持ち、その悩みにあてどない人々が扉を叩くところ、それが、形成外科の手法をふまえつつ、かの人たちの心の傷にそっと手を当てる「心療室」なのです。
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